序章、山に魅せられる


Update:2004.03.06

山に魅せられる。 (1975.10.30〜11.1)

大台ヶ原は大峰と共に近畿の屋根といわれる。大台ヶ原の雨は定評がある。雨に会わなかったといえば、本当にされないほどである。年間雨量5,000ミリを越え、日本一ともいわれている。これらの地域は大杉渓谷を含め、全て吉野熊野国立公園に指定され、特別保護地域としてこの山地特有の豊富な森林美が保護されているのは有り難いことと言わねばならない。

紅葉に染まる大蛇ー

奈良県・大和上市駅で特急電車から降り立てば空は曇り、幾分ゆううつなままバスに乗り換えて目的地へ向かう。時には車同士がすれ違うにも一苦労する、道幅の狭い旧道を目的地へ、大台ヶ原ドライブウェイでは、バスが喘ぎながら、ガス(霧)を裂くように進む。山上駐車場に着きバスから降り立てば、思わず身をすくめる程の寒さが出迎えてくれた。

大台ケ原の名物・・「大台教会山の家」田垣内政一(今は亡き)の話を聞きたく、宿泊の手続きを済ませ、軽装で必要最小限の荷物を持ち、山上周遊に出かける。
尾鷲辻から牛石ガ原そして、大蛇ー(だいじゃぐら)へとたどり着く、思わず息をのむ、という言葉はその景色のためにあるかのごとく、言葉が出なくなるほどの光景が広がる。

名の通り”ーが横たわり大蛇がせり出す”かの如くの場所から望む、景色は例えようの無い素晴しさ、雲海を眼下に、峪を隔て釈迦ガ岳・仏生ガ岳・弥山・大峰山、綿々と続く山並みに言葉も無く見入ってしまった。この一瞬が後に”山と生きる”事になるとは、思いもよらず。

大蛇ーを後に、一般ハイカーの通常ルートから外れ、中の滝が眺められる滝見尾根を下るが、踏跡もまばらな路で、ガスが湧き上がり引き返す時間が迫って来たので、元来た道を登り返す、教会へと無事辿り着き約3時間の山上周遊を終えた。
夕食後に、大台ケ原の主”田垣内”さんが語る、伯母峰峠の妖怪・一本足ダタラの話を聞き、時の立つのを暫し忘れてしまうほどであった。

七つ釜の滝

翌早朝、寒さと雨の音で目を覚ます、時計を見ると6時前、雨か・・・・? 朝食後、小雨の天気に、出発か?帰阪か?と思案をする。泊まり合せた3パーティーの内1パーティーは帰阪、天気予報を確認し、大杉渓谷への思いが断ち難く、約2時間遅れの出発となった。

小雨の中、大台ヶ原の最高峰”日出ガ岳”での展望は諦め、小休止の後、大杉渓谷を目指しひたすら下り続ける。途中、堂倉小屋にて休憩を取り、目指すは”大杉渓谷”歩みを進めるうちに水音が少しづつ大きくなる、突然目の前に”堂倉の滝”滝しぶきと暴音とで出迎えてくれた。堂々たる姿に見とれてしまう。 これからは、滝吊橋の連続になる。

隠滝・光滝と連続して現れ、吊橋は通行(重量)制限で、一人だけ渡る注意書きもある。小雨が降り続ける中、七つ釜の上部に達する、いよいよ大杉渓谷の懐へ、いくつかの吊橋を渡り最深部の、七つ釜吊橋を渡りながら”七つ釜”の眺めを振り返る、感動を超え神秘ささえ漂った。程なく今夜の宿、桃の木小屋へ到着した。山の掟を若干無視した行動で、教会山の家から桃の木小屋へ、登山パーティーが「峪を下っている」の連絡を受けていた様子で、「後の1パーティーは?」と・・。少し遅れ1パーティーが到着した。この日小屋には他2〜3パーティーが泊まり合わせた。

大杉渓谷・緑の瀞

2泊3日の山旅、最終日・・他のパーティーは先行し、小屋を最後に出発、平等ー・にこにこ滝を過ぎ、猪ガ淵に到着、昨日からの雨も上がりようやく青空が見え出した。両岸絶壁の中に蒼く澄んだ水を満々と貯えた光景は、今までとは違った景観であった。右手に千尋滝を眺めつつ大日ー近くの川原にて昼食後、宮川ダム観光船の乗船場所へ、ダムの水位により乗船場所が変わり、この時は幸いに第一乗船場で出発間際の船に間に合った。
この後何度か、大杉渓谷を下ったが、渇水期には乗船場が下流へ変わり、一度乗り遅れ”大杉”まで歩いた事もあり、自然の摂理にただ脱帽。


回想:
大杉渓谷の吊橋で、過去”一部の無頼者”により「吊橋の崩壊落下」事故が発生「人数制限を無視した行ない」の結果であった。その後、数年「吊橋」の補修・改修により登山道が閉鎖された事は、遺憾である。

記 載  :2003.07.30
加筆・訂正:2004.03.06




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